守護の天使との遭遇(7)

司祭に拒まれたメッセージ

私は司祭に会うために、定期的に神学校を訪ねていました。ある日司祭は、私が天と交流する現象を見たいと望みました。対話が始まると、彼は私の方に来て、止めることができるかどうか見るために、私の手に触れました。すると、ヒリヒリする電流のようなものが腕に流れるのを直ちに感じたそうです。そのときは私に何も言いませんでしたが、その後、午後の間ずっと、その電気のような感覚が残っていたので、神学校の別の司祭のところに行って、自分の体験を話したそうです。その司祭も私を知っていました。この出来事について聞くと、これは神からのものではなく、むしろ悪魔的なものだと見なして、私を連れて来るように言いました。

この方は自分の部屋に聖水をまき、私の座る椅子、机、私が使う紙と鉛筆に聖水をふりかけました。私がそこに行くと、私が交流しているものが何であれ、「それ」に、「栄光は父と子と聖霊に」と書くように頼みなさいと言います。私は神に祈り、そのように書いてくださるようお願いしました。主はそうしてくださいましたが、とても力が強かったので、鉛筆が折れ、ペンで完成させなければなりませんでした。

この司祭は憤慨したと同時におびえ、サタニズム、悪魔、魔術、愚かな悪霊について説明を始め、私が交流しているのは神の霊ではなく、愚かな悪霊だと言います。彼は私の頭の中を恐怖で満たしました。私が立ち去ろうとすると、書くのをやめないのなら、少なくともしばらくの間、神学校にも教会にも来てはいけないと言いました。そしてもうひとりの司祭も放っておくようにと。さらに、毎日唱える三つの祈り(聖ミカエルの祈り、聖ベルナルドの祈りと、イエスの聖心へのノヴェナ)を下さり、私の手にロザリオを渡されました。

ショックを受けた私は、少なくとももう少し優しかった最初の司祭のところに行き、ことのいきさつを話しました。もう一人の司祭は、私があなたのところに来るのを喜んでおられず、訪問するのはやめなければいけないと言ったと。彼は目を伏せて、頭をちょっと傾けたまま答えません。この司祭も同意見だと分かりました。私が来なければ、この方は直ちに重い十字架から解放されるということが、はっきり分かりました。私は「歓迎されざる」客だったのです。私は立ち上がってこう言いました。
「この敷地内で私に会うことはもうないでしょう、歓迎されていると感じるまでは!」
二度とカトリック教会の敷居をまたぐことはないと思いながら、立ち去りました。
私は家に戻り、目を腫らすほどに大泣きしました。私の天使が慰めに来て、額をそっと撫でてくれます。私は神に向かって嘆きました。
「私は混乱し、私の魂は誰も想像できないほどに悲嘆にくれています。これ以上何も分かりません。あなたはあなただとおっしゃり、私の心はあなただと感じます。けれど彼はあなたを悪魔だと言うのです。もしあなたなら、いつかあの司祭が、私が交流しているのは神であることを認め、そう言ってくださるように。そうするなら私も信じます!」
神はただこう言われました。
「私が従わせる……」

天使は私をとても親切に扱い、私の霊的な傷をそっと優しく手当てしてくれました。私は司祭から渡された祈りを毎日唱え、言われた通りにしました。神が下さった賜物を用いるのをやめ、書かないようにしました。住んでいたのがイスラム教国だったので、コーランを買ってきて調べ、聖書と比べてみました。ある日、メモを取っていると、驚いたことに御父が近づいて来られました。そこにわずかな現存を感じただけで、説明できないほどの歓びに包まれました。御父はこう言われました。
「私、神はあなたを愛している、娘よ、いつもこれを覚えていなさい。ヤハウェが私の名である」
鉛筆を持っていたので、主は私の手をとってノートにそう書かれました。しばらくして、また私のそばに降りて来られ、私の手を使ってこう言われました。
「私、神はあなたを愛している。ヴァスーラ、これをいつも覚えていなさい。あなたを導いているのは私。ヤハウェが私の名である」

私はあまりに感動して、涙があふれてきました。囚人のように、私のお父さんと話すことを禁じられ、天国と交流を持つことも禁じられ、神ご自身が下さった賜物を使うことを禁じられ、そのたまものを使って天の御父に近づくことも禁じられたのです。このようにすべてを禁じられて、「監獄」の中にいる私を訪れてくださったのはどなたでしょう? それは私を最も愛してくださるお方、誰よりも優しい御父、手のひらの上に全宇宙を握っておられる方、そのお方が、愛と慈しみを示そうと、私のところに来てくださったのです。

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